平岡有加里さんは参政党代表・神谷宗幣参議院議員の元公設第一秘書で、2022年参院選後から党の基盤づくりやタウンミーティングなど対外活動に携わっていました。
しかし、2023年4月に神谷氏からのパワーハラスメントや叱責などの精神的圧力が強く、2023年12月に自殺しました。
今回はそんな平岡さんの自殺の実態にせまりたいと思います!それでは最後まで見て行ってくださいね!
神谷宗幣の元秘書平岡ゆかり
平岡ゆかりさんは、40代の女性で、小学生の男の子2人の母親です。
事務の仕事をしながら新しい仕事にも挑戦しており、自己理解プログラムを通じて自分の本当にやりたいことを見つける過程を経験しています。
彼女は、自己理解のためのプログラムを通して、これまで気づかなかった自分の価値観や大事にしていることを発見し、それを生かして今後はお母さんや子どもたちの可能性を広げる活動を目指している人物です。
一方で、政治の分野では、参政党の元公設秘書としても知られていますが、2023年12月に自死されたことが報じられています。
報道や関係者の証言によれば、参政党代表の神谷宗幣氏によるパワハラが自死の一因として指摘されています。党首側からは説明がなく、現在も社会的な問題として取りざたされています
神谷宗幣の元秘書平岡ゆかりの自殺の原因3選!
神谷宗幣氏の元秘書・平岡ゆかりさんの自殺の原因として、報道や関係者の証言から主に以下の3つが詳しく指摘されています。
原因① パワハラ的言動と精神的プレッシャーのため
参政党の神谷宗幣氏による秘書への対応について、深刻な問題が明らかになっています。
神谷氏は党のタウンミーティングに人が集まらないとき、まるで秘書一人のせいであるかのように激しく責め立てていました。「どうしてなんだ」「意味がないんです!」といった厳しい言葉を浴びせ続け、秘書を徹底的に叱りつけていたのです。
特に2022年の終わりから2023年の始めにかけて、このような行為が目立っていたと言われています。
さらに問題だったのは、他のスタッフがいる前でも容赦なく秘書を叱責していたことです。
全体会議では秘書の声が震えるほどで、神谷氏がいるだけで大きな心理的なプレッシャーを感じていたことが分かります。
秘書は精神的に追い詰められ、言葉が出なくなったり手が震えたりするほどの状態になっていました。
秘書は知人に対して「どんな暴言を吐いても許されると思っているのかしら」とSNSで心境を漏らしており、日常的に暴言のような厳しい言葉を浴びせられていたことがうかがえます。
この件について神谷氏は取材に対し「厳しいことは言ったが個人攻撃はしていない」と主張する一方で、「責任は感じている」とも答えています。
このような過度な叱責や精神的プレッシャー、暴言的な発言は、職場でのパワーハラスメントにあたる深刻な問題です。
秘書の自殺という悲劇的な結果にもつながったとされ、政治の世界における働く環境の問題として大きな注目を集めています
原因② 加賀塾で娘との関わりがあったため
加賀塾は、参政党の神谷宗幣氏が2023年4月に石川県加賀市で始めた教育施設です。
この塾は旧看護学校の宿舎を使って、通信制高校や大学に通う学生たちが寮生活をしながら学ぶフリースクールのような場所でした。
神谷氏は「加賀プロジェクト」という大きな計画の一部として、不登校の子どもたちなど様々な事情を持つ生徒たちの居場所を作り、将来の日本を支えるリーダーを育てることを目標にしていました。
この加賀塾で代表を務めていたのが、神谷氏の元秘書である平岡ゆかりさんの娘、花梨さんでした。
平岡さんは神谷氏の公設秘書として参政党の活動に深く関わっていましたが、娘が加賀塾の代表という立場にあったため、党から離れたくても離れにくい複雑な状況に置かれていました。
平岡さんは知人に対して「自分が参政党に関わったことで、娘の人生まで台無しにしてしまった」と深く悩んでいたことが分かっています。
母親として、自分の政治活動の選択が娘の将来に影響を与えてしまったことに大きな責任と罪悪感を感じていたのです。
平岡さんの自殺後、花梨さんは2024年1月26日に加賀塾の代表を辞任しました。そして「神谷宗幣氏関連の事業には今後一切関わりたくない」とSNSで明確に表明し、完全に距離を置く意思を示しました。
現在、加賀塾は運営に大きな変化が生じており、ウェブサイトも閉鎖されるなど、今後の運営について不透明な状況が続いています。
地元でも公共施設の利用方法や運営のあり方について議論や批判の声が上がっている状況です。
この一連の出来事は、政治活動が家族関係にまで深刻な影響を与えた悲しい事例として注目されており、平岡さんが抱えていた精神的な負担の大きさを物語っています。
原因③ 公設秘書解任ごの孤立感や疲弊のため
平岡ゆかりさんは2023年4月に神谷宗幣氏の公設秘書という重要な役職を解任されましたが、その後も参政党の一般スタッフとして約1年間にわたって党の仕事を続けていました。
しかし、秘書という大きな責任ある立場を失った後の生活は、日常生活にも大きな影響が出ていました。
家事も手につかない状態で生活が乱れていき、孤立感がどんどん深まっていったのです。
自殺する直前には「参政党は魔窟」という強い言葉で党への絶望を表現するほど、深い苦悩を抱えていました。
平岡さんのSNSには、周囲への感謝の気持ちを表す投稿と同時に、別れを匂わせるような内容も見られていました。
これは、長期間にわたって続いた精神的な疲労と深い孤立感が、最終的に悲劇的な結果につながってしまった可能性を示しています。
このような状況を見ると、平岡さんがいかに追い詰められた状況にあったか、そしてその苦悩がどれほど深いものだったかが分かります。職場での人間関係の問題が、一人の人の人生全体に与える影響の深刻さを物語る事例といえるでしょう。
平岡ゆかりの自殺後の参政党の対応と世間の反応
平岡ゆかりさんの自殺という深刻な事件が起きたにもかかわらず、参政党からは公式な声明や説明が一切出されていません。
これは多くの人にとって不可解で、無責任な対応だと受け取られています。
一方、神谷宗幣代表は自分なりの見解を示していますが、その内容が大きな議論を呼んでいます。
神谷氏は平岡さんの自殺の原因について「アンチ(反対派)からの攻撃が原因だった」と主張し、自分や党に責任があるという見方を否定しています。
しかし、平岡さんの遺族や関係者たちは全く異なる見解を持っています。
彼らは神谷氏からの激しい叱責やパワーハラスメント的な言動こそが、平岡さんを精神的に追い詰め、自殺に至らせた主な原因だと強く主張しているのです。
この神谷氏の発言と対応について、党の内外から厳しい批判の声が上がっています。
多くの人が「自分の責任を外部に転嫁している」「無神経すぎる」「責任逃れをしている」と感じており、特にインターネット上では参政党の運営体制や説明責任の欠如について激しい批判が展開されています。
ただし、参政党の熱心な支持者の中には、これらの報道や批判を「偏った見方だ」と捉える人たちもいます。
彼らは神谷氏を擁護し、外部からの攻撃や偏向報道が問題だという立場を取っています。
このように、平岡さんの自殺をめぐっては、原因についても党の対応についても、全く異なる見解が対立している状況です。
しかし、一人の命が失われた重大な事実は変わらず、真摯な説明と責任ある対応が求められているのは間違いありません。
まとめ
いかがでしたか?
事実であれば平岡さんは相当苦しい思いをされたのではないでしょうか?
その時の神谷さんの対応や参政党の対応に期待しましょう。
筆者の感想
自殺の問題は解決するのが難しいとされていますね。
参政党側の説明は不十分ですが、今後またこの話題が出てくることは間違いないと思います。
娘さんの心情は現在どういった感じでしょうか?
是非とも日本を背負うのであれば、事実かはわかりませんが、この問題は全てクリアにして欲しいところですね。
今後の報道を皆様でお待ちしましょう!
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