桐貴清羽(きりたか きよは)さんは舞妓文化の裏側の問題を社会に問い続ける活動が大きな話題となっています。
特に2025年1月には、自身の体験をもとにしたコミックエッセイ『京都花街はこの世の地獄~元舞妓が語る古都の闇~』(漫画:宮本ぐみ)が発売され、桐貴さんは16歳でお酒を飲まされお客さんとの混浴を強いられたりと、京都の舞子について書かれた実態の内容がかなり衝撃的でした。
今回はそんな桐貴清羽さんが元舞子時代の置屋と呼ばれるところはどこでどんなところなのか、またその実態を調査致しました!
それでは最後まで見て行ってくださいね!
桐貴清羽の置屋はどこでどんなとこ?

桐貴清羽さんが舞子をされていた置屋はどこなのでしょうか?
また置屋とはいったい何なのか調査致しましたので見て行きましょう!
桐貴清羽の置屋はどこ
丹美賀(お茶屋)

〒604-8016 京都府京都市中京区先斗町通三条下る下樵木町191
X.comではお客さんと思われる方が場所の特定や、当時の様子を投稿されています。
どっかで見た顔だなと思い調べてみたら、丹美賀の市駒か。
— OJシンプソン (@ozajundayo) June 27, 2022
花柳界、つまりは芸事の道に入っておきながら、客はともかく置屋からも虐待されたかの様に記すとは、恩を仇で返す所業。"堅気"ではない世界と知って選んでおきながら、お座敷の話を曝露し花街を『堅気じゃない!』と批判するのは単なる我儘。 https://t.co/Aqjgv3PKNV
設定盛りすぎのように見えて、実は舞妓「市駒」として働いていたのは事実。
— zapa (@zapa) June 27, 2022
“gottuan's room: 先斗町 お店だし” https://t.co/s3FY7JKRBQ pic.twitter.com/s0nl5CHhSR
舞子での名前は『市駒』という名前でやられていました。
京都には、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つの花街があり、これらを総称して“五花街”と呼びます。
その中の先斗町の丹美賀という置屋で舞子をされていましたが、そもそも置屋とはなんでしょうか?
置屋とはなに?

ここは舞子さんたちにとって家であり、学校のようなもの、いわば養成所みたいな感じですね。
舞妓さんになりたい女の子は、まず「仕込みさん」という見習いからスタートし、置屋で一緒に暮らしながら、踊りや三味線、お茶の作法などの芸事を毎日練習され、お客様への接し方や礼儀作法も、この置屋で身につけていきます。
また置屋を経営している人は「おかあさん」と呼ばれていて、このおかあさんが、舞妓さんたちの生活面から芸事の指導まで、すべてを面倒を見ており、お茶屋さんから「宴会に舞妓さんを呼んでほしい」という依頼があると、置屋のおかあさんが舞妓さんや芸妓さんを選んで派遣する仕組みですね。 引用元:お座敷体験 宴
京都では、この置屋のことを「屋形(やかた)」や「子方屋(こかたや)」という別の呼び方で呼んだりします。
この内容だとすごくお上品なイメージがありませんか?
しかし実態はそんな感じではないみたいですね。
続いて見て行きましょう!
京都の元舞子の実態はえぐすぎた!

桐貴さんが「市駒」として舞妓になったのは、2015年11月でそれから2016年7月までの約8カ月間でした。
その告発の内容はなかなか衝撃的なモノです。
この世から抹消されるかもしれんけど、これが舞妓の実態。当時16 歳で浴びるほどのお酒を飲ませられ、お客さんとお風呂入りという名の混浴を強いられた(全力で逃げたけど)。これが本当に伝統文化なのか今一度かんがえていただきたい。写真はお客さんと山崎18年一気飲み大会で勝利した時と飲酒 pic.twitter.com/0kdXDZHML8
— 桐貴清羽(Kiyoha Kiritaka) (@kiyoha_xxx) June 26, 2022
16歳ですから未成年ですから完全にアウトですよね。
しかも混浴を強いられるなんてことも絶対にアウトです!
2014年5月に先代の女将と面談して、2015年2月に屋形(置屋)に入られ修行をされていました。
親からも『芸舞妓なら踊りを仕事にできるから』とすすめられたとの事です。
告発の実態の内容

実態はかなり過酷なものです。
「髪結いをする日は朝4時、5時起きです。休みは月に2日ありますが、何もできません。だって、現金をほとんど持っていないのですから。もらえるお金は月に1回、5万円ほどのお小遣いがすべてです。そこからお化粧品代や生理用品などの支出もまかないます」引用元:Smart FRASH
しかも門限が深夜12時で寝るのは早くて2時か3時、睡眠は長くて5時間程度とかなりハードなスケジュールですよね?
給料も時給制ではなくお小遣いなのでこれは厳しいです。
そしてお客さんの前に出る「お座敷」は夜6時から9時までの「先口」と、9時から12時までの「後口」の二部制になっていて、後口では割烹料理店やバーに行くことが多く、キャバクラのアフターのような感じですね。

また当時16歳の桐貴さんに先口や後口でお酒を進められることが多くあったとの事です。
実際ある先生(政治家)のパーティに呼ばれて、お酒をすすめられたことがあります。私が『16歳ですから』と断わると、先生は指を口に当てて、『舞妓がそんなことを言ってはダメだ』と言われました」引用元:Smart FRASH
なかなか恐ろしい事実ですね
ほかにもセクハラが酷かったエピソードがあります。
「横になった舞妓の上にお客様がまたがって、腰を上下させるような“接触系”がありました。また“シャチホコ”といって、舞妓が三点倒立をして、お客様が着物の裾を広げて下着を見る“覗き系”もありました。舞妓は子供なので『性的な行動を理解しておらず、恥ずかしがらない』という建前があり、嫌でも拒否できません。当然、お酒も入っています。座興の度がすぎて、着物の脇や裾の間から、手を入れてくるお客様も出てきます」引用元:Smart FRASH
まだ未成年でもあり本当にこの内容が事実なら舞子さんの世界は恐ろしいですよね。
まさに舞妓さんが置かれた状況は『現代の奴隷』です。
2025年1月には、自身の体験をもとにしたコミックエッセイ『京都花街はこの世の地獄~元舞妓が語る古都の闇~』(漫画:宮本ぐみ)が発売され、未成年飲酒や性接待の実態など、花街の「闇」の部分を赤裸々に描かれており話題となりました。
2025年この実態に対し、桐貴さんは弁護士ら6人と「舞妓と接待文化を考えるネットワーク」を立ち上げ、国連の女性差別撤廃委員会に、舞妓の人権侵害に関する報告書を提出しされました。
これでこの業界も変わるといいいですね!
桐貴清羽のプロフィール

- 名前:桐貴 清羽(きりたか きよは)
- 出身地:山口県(その後、和歌山県や大阪府などでも暮らす)
- 家庭環境:母親が何度か結婚・離婚を繰り返し、父親の違う姉が1人いる複雑な家庭で育つ
- 子役・芸能活動:8~9歳頃からタレント事務所に所属し、ミュージカルや舞台に出演。小学校時代はいじめや不登校も経験
- 地下アイドル活動:12歳で地下アイドルとして活動、14歳でご当地ヒーローショー出演や日本舞踊の稽古を始める
- 舞妓時代:2015年11月(16歳)に京都・先斗町の「丹美賀」というお茶屋で舞妓「市駒(いちこま)」としてデビュー。2016年7月に退職
- その後の経歴:舞妓引退後は上京し、ホステスやライター、インターナショナルスクール通学など多彩な経験を積む
- 家族:2021年に出産し、2023年に離婚してシングルマザーとなる
- 現在:フリーライターや重度訪問介護の仕事をしながら、舞妓時代の実態や人権問題について発信
まとめ
なかなか衝撃的な実態ですね。
京都の先斗町の丹美賀(お茶屋)で舞子を8カ月されていた桐貴さんでしたが、かなり精神的にもきつい時期だったのではないでしょうか?
告発により舞子さんが働きやすく、ちゃんとした文化が守られた業界になればいいですね。
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