元プロサッカー選手で清水エスパルスに在籍されていた鍋田亜人夢さんですが、現在はなんと静岡市内の中学校教諭をされています。
清水エスパルスのユース時代は年代別日本代表にも選出され、地元サポーターの期待も大きかったものの、トップチームでは出場機会が限られ、プロとしては苦しいキャリアだった鍋田亜人夢さんは、どういった経緯で中学校経論になったのでしょうか?
今回は鍋田亜人夢さんのwiki風学歴経歴を調査致しましたので見て行きましょう!
鍋田亜人夢wiki風学歴経歴!

鍋田亜人夢さんのサッカー人生から、中学校経論になるまでの学歴経歴を順番に見て行きましょう!
鍋田亜人夢のプロフィール

サッカー経歴
続いて幼少期から見て行きましょう!
鍋田亜人夢の幼少期

〒424-0029 静岡県静岡市清水区下野中2−40
鍋田亜人夢さんは静岡県の清水第八スポーツクラブという伝統ある少年サッカーチームでサッカーを始めました。
このクラブで基礎をしっかりと身につけた鍋田選手は、小学生という若さで既に才能を発揮されており、その実力が認められ、なんとU-12日本選抜に選ばれるという快挙を成し遂げます!
そして原口元気選手や田口泰士選手といった後にプロになる仲間たちと一緒に、世界大会である「ダノンネーションズカップ」に出場しました。
幼少期から同世代の仲間たちと一緒に練習を重ねる中で、特に高木俊幸選手とは抜群のコンビネーションを見せていて、後のプロサッカー選手としての活動にも大きく影響したことでしょう。
鍋田亜人夢の中学生時代


〒424-0002 静岡県静岡市清水区山原112−1
鍋田さんは中学生になり清水エスパルスジュニアユースに所属し、全国レベルの舞台で活躍していました。
中学3年生となった2006年には素晴らしい成績を残され、「日本クラブユース選手権(U-15)」では準優勝という快挙を成し遂げ、「高円宮杯全日本ユース(U-15)」でもベスト8進出を果たされ素晴らしいですね!
鍋田さんは代表歴が多く、中学1年生の時から「JFAエリートプログラムU-13」や「ナショナルトレセンU-14」に選出され、中学2年生では「JFAエリートプログラムU-14」や「U-14日本選抜」、中学3年生では「U-15Jリーグ選抜」や「U-15ストライカーキャンプ」、「ナショナルトレセンU-16」など、各年代の日本代表や選抜に次々と選ばれており才能を爆発させています!
この時期の鍋田選手を語る上で欠かせないのが、現在日本代表MFとして活躍する原口元気選手との関係で、二人は中学時代からのライバル関係にあり、原口選手が「中学時代勝てなかった」「1試合で1ゴール3アシストを許した」と語るほど、鍋田さんの実力は全国的にも有名でした。
実際に、原口選手率いる浦和下部組織との対戦では、鍋田選手が1ゴール3アシストという圧倒的な活躍を見せ、チームを4-2の勝利に導いたという伝説的なエピソードがあります。
鍋田亜人夢の高校時代


〒420-0813 静岡県静岡市葵区長沼500−1
鍋田さんは清水エスパルスユースに所属しながら、静岡県立科学技術高校に通っていました。
この時期の鍋田選手は、「学生時代からサッカー漬けだった」と振り返っているように、授業よりもサッカーに打ち込む日々が続いていたとの事です。
清水エスパルスユースでは、フォワードのポジションでプレーし、トップチーム昇格を目指して毎日厳しいトレーニングに励んでおり、ユースチームはプロへの登竜門とも言える場所で、そこでの活躍が将来を左右するため、鍋田さんにとっても大切な時期でした。
2009年には高校選抜(SBSカップ)のメンバーとしても選ばれ、県選抜の一員として全国レベルの大会に出場し、この大会では全国の強豪選手たちと対戦され、プロ入り前から高い評価を受けていました。
また、ユース時代から年代別代表にも選ばれるなど、その実力は多方面で認められていたのでかなり優秀な選手だったのでしょうね!
そして高校3年生となった2009年12月、ついに念願のトップチームへの昇格が決定し、昇格発表は鍋田選手にとって大きな出来事であり、クラブからも将来を期待されていることの証でもありました。
鍋田亜人夢の清水エスパルス時代

ポジションはフォワードで、ユース時代の輝かしい実績から将来を期待された逸材でした。
しかし、トップチームでは出場機会に恵まれず、苦しい時期が続くことになりました。
プロとしての成績を見ると、J1リーグ通算13試合出場(0得点)、J2リーグ8試合出場(0得点)、リーグカップ5試合出場、天皇杯2試合出場という記録でした。得点を挙げることができなかったのは、フォワードとしては非常に厳しい現実だったと思われます。
それでも2012年5月にはプロA契約を締結し、これはJリーグの規定で一定の出場時間(450分)を超えた選手に与えられるもので、プロとしての重要なステップでした。
2014年9月、出場機会を求めてアビスパ福岡へ期限付き移籍し、新天地での飛躍を目指しましたが、残念ながら福岡でも公式戦でゴールを挙げることはできず悔しい思いをされたはずです。
2015年に福岡から復帰後、清水エスパルスとの契約も満了となり、2016年3月についに現役引退を発表しました。
本人は「結果を残し、チームの力となることができず、とても残念」と語っており、ユース時代の華々しい実績を考えると、プロでの結果は本人にとって非常に悔しいものだったでしょうね。
しかし、ユース時代の期待に応える結果を残すことはできなかったものの、A契約締結やJリーグ出場など、プロ選手として確かな足跡を残したことも事実ですよね。
鍋田亜人夢の大学時代


〒158-8508 東京都世田谷区深沢7丁目1−1
2017年4月、現役引退後は日本体育大学に進学され、これまでサッカー一筋で生きてきた鍋田さんにとって、一般学生としての生活は全く新しい挑戦の始まりでした。
元Jリーガーとしての経歴を持ちながらも、周りは年下ばかりで、サッカー以外のことを何も知らなかった自分にとって「すごく刺激を受けた」と語っています。
そして大学の友人たちの多くは彼が元プロ選手であることを知らず、そうした環境が「自分を客観視できるいい機会になった」と振り返っておりなかなかポジティブな考え方ですよね!
鍋田選手は「サッカー選手は特殊な世界で、社会一般の仕事に触れていないジレンマを感じる選手も多い」と自身の経験を語っています。
大学では体育学部体育学科で学び、勉強を続ける中で新たな目標が生まれ、「自分から動いて発信できる選手を育成したい」「地元静岡に恩返ししたい」との思いを強くし、教員を目指すようになったのです。
鍋田亜人夢は静岡市立東豊田中学校教諭!

〒422-8004 静岡県静岡市駿河区国吉田5丁目23−1
教員になることを決めた理由には、サッカー選手時代に感じた「特殊な世界で生きてきたジレンマ」があったからです。
長年サッカーだけに集中してきた鍋田さんにとって、社会の中で新たな役割を見つけたいという強い思いがあったのでしょう!
実際に勤務したのは静岡市立東豊田中学校(静岡県静岡市駿河区)で、そこでサッカー部の指導も担当していました。
令和3年度(2021年度)の職員紹介資料には、同校の教諭として鍋田亜人夢の名前がしっかりと記載されています。

これまでサッカー選手として培ってきた経験と、大学で学んだ教育の知識を組み合わせて、今度は教育者として子供たちの成長を支えており、特にサッカー部の指導では、プロ選手としての実体験を活かしながら、生徒たちに技術だけでなく、人間性や社会性も教えていることでしょう!
しかしながら鍋田さんの人生に事件が起きてしまいました。
鍋田亜人夢容疑者逮捕

報道によると、6月下旬に保護者から鍋田容疑者に関する相談が寄せられ、2025年7月12日現在の最新情報は「逮捕された」という事実のみが報道されています。
鍋田容疑者は「メッセージを送ったのは間違いない」と容疑を認めています。
逮捕後の処遇や今後の動向、釈放や懲戒処分などの続報は、現時点で報道されていません。
最新情報をお待ちしましょう。
まとめ
いかがでしたか?
ユース時代はかなり優秀だった鍋田さんですが、プロとしてなかなかいい結果が産まれず、かなり苦しい思いをされていたのではないでしょうか?
シフトチェンジし教師になられたのは非常によい選択でしたが、悲しい報道がありましたね。
今後の動きも情報を待ちましょう。
筆者の感想
筆者もサッカー経歴がありますが、ユースのレベルの高さはよくわかります。
かなりの練習をされていたはずの鍋田さんですが、プロはやはり厳しい世界ですね。
まだまだ人生は続くので、報道の行く末を見守って行きましょう。

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